A propos de la Bourgogne...

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Page 1: ブルゴーニュ賛歌 | ブルゴーニュの地理 | ブルゴーニュの歴史
Page 2: ブルゴーニュの方言
Page 3: ブルゴーニュらしい苗字


ロマネスク教会、シャロレー牛が見える田園風景

ブルゴーニュ(Bourgogne)地方の観光スローガンは、L'Art et le Plaisir de Vivre。

どう訳すか、ちょっと迷います。「生きる技(わざ)と喜び」とも、「芸術と生きる喜び」とも訳せてしまえるからです。

でも英語のスローガンは Land of great art and good living となっているので、後者の意味を意図しているようです。

フランス各地には、それぞれのお国自慢がありますが、ブルゴーニュほど郷土を誇りにできる地方は少ないようです。なにしろ、「ブルゴーニュに住んでいる」というと、それだけで羨ましがられてしまうほどなのです。

ワインや食事を楽しめる地方だから。それが一番の理由でしょう。歴史もあるので、見学したくなるような建物にも各地にあります。農業が盛んなので、自然も美しいのです。

ブルゴーニュに住む人は「ブルギニョン(Bourguignon)」と呼ばれます。食道楽で、陽気だというのが定評です。



ブルゴーニュ地方の民謡は、どれも大酒飲みの歌ばかりです。皆で囃し立てる「一気飲みの歌」、「オレが死んだら、墓に大酒飲みの墓だと書いてくれ」などいう歌など・・・。大勢集まった食事の席で、ワインがまわった時などに歌われます。

「ブルゴーニュ讃歌」と呼べるような民謡もあります。題名は「Joyeux enfants de la Bourgogne(ブルゴーニュの陽気な子どもたち)」。

この歌を大声で合唱すると、心の底からブルギニョン(ブルゴーニュっ子)であることが誇らしくなってくるような、元気いっぱいの曲です。

「ブルゴーニュの陽気な子どもたち」の内容は、次のようなものです。

ブルゴーニュの陽気な子どもたち

私の横には、いつもボトルがある
ブドウ畑で飲むときは、王様より幸せな気分
私がへまなことをすることはない
だって毎朝、グラス一杯のワインで顔を洗うから

ブルゴーニュの陽気な子どもの私
運が悪かったことは一度もない
酔って顔が赤くなると、私はブルギニョンであることが誇らしい
私は誇らしい! 私は誇らしい!
私は誇らしい! 私は誇らしい!
私はブルギニョンであることが誇らしい!



Joyeux enfants de la Bourgogne(ブルゴーニュの陽気な子どもたち)が入っているCD(仏アマゾン・サイト)
フランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」も明るい曲ですが、フランス革命期に国歌となった曲なので、「敵を倒せ!」という、かなり挑戦的な歌詞です。

スポーツの試合の前などに演奏されるのには適していると思います。でも外国から国賓を向かえたときなのにも、この曲が歓迎のために演奏されるのですから、酷いと思ってしまいます!
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フランスは6角形だと表現されます。

でもフランスの国の形を人体として見ると、ブルゴーニュは、ちょうど心臓の位置にあります!

フランスでは地方名が行政区分の単位になっています。ブルゴーニュ地方圏は、きれいに4等分したかのように4つの県に分かれています。この地方の行政中心地はディジョン市です。

県名 県コード番号 県庁所在地
ヨーヌ県 (Yonne) * 89 オーセール (Auxerre)
コート・ドール県 (Côte d'Or) 21 ディジョン (Dijon)
ソーヌ・エ・ロワール県 (Saône-et-Loire) 71 マコン (Mâcon)
ニエーヴル県 (Nièvre) 58 ヌヴェール (Nevers)



* ヨーヌ(Yonne)県は、日本語表記では「ヨンヌ」とするようですが、フランス人の発音では「ヨーヌ」に聞こえます。また、普通は定冠詞を付けて l'Yonne となるので、この県の名前を耳にするのは「リヨーンヌ」という発音です。

フランスの県名は、その県に流れている河川の名前から作られたものが多いです。ヨーヌ、ソーヌ、ロワール、ニエーヴルも全て河川の名前。唯一、コート・ドールだけは「黄金の丘」という美しい県名になっています。

ブドウ畑が色づいた美しさを表した県の名前です。このような詩的な県の名前は、フランス中探してもコート・ドールしかありません! フランス革命後に県名前が決められるとき、地元の議員(André-Rémy Arnoult)の提案が通ったのです。普通でしたら、ありふれた川の名前を使った県名になるところでした。セーヌ上流県とか、セーヌ&ソーヌ県など...。

*セーヌ河はパリを流れていることで名高いのですが、水源はブルゴーニュ地方のコート・ドール県にあります。
内部リンク: パリを流れるセーヌ河はブルゴーニュから発する

ソーヌ・エ・ロワール県の観光プロモーションでは、「ブルゴーニュ南部 (Bourgogne du sud)」という呼び名を県名のように使っています。「ソーヌ&ロワール」というと、あのお城巡りで有名なロワール河流域地方と混同される恐れがあるので、イメージの良い「ブルゴーニュ」という言葉を強調しているのです。


右の地図にマウスを近づけると、もう少しよく地形が分かるでしょう。

4県にまたがる中央部には、モルヴァン(Morvan)地域と呼ばれる自然に恵まれた山岳地帯があります。最も高い山は901メートル。

ブルゴーニュにはそれほど高い山はないのです。標高500メートル程度でも「山」とか「峠」とかいう名前が使われています!

ブルゴーニュは農業が盛んな地方です。

高級ワインの産地であることは言うまでもありませんが、その他にもフランスでは名高い農産物があります。肉牛のシャロレー種は、この地方が原産地です。世界一と言われるブレス産若鶏、ヤギのチーズなどもあります。

ブルゴーニュがフランスの中でも特に美食の地と言われるのは、農産物に恵まれているからなのです。


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旧石器時代、ケルトの時代、そしてローマ支配下の歴史が残っています。5世紀におこったゲルマン民族の大移動で、ブルグント族が渡ってきました。
ブルゴーニュという名は、このブルグント族(Burgondes)が築いたブルグント王国の名に由来しているのです。

ブルゴーニュの紋章
ブルグント王国、ブルゴーニュ王国が築かれた時代が過ぎ、14世紀から15世紀にかけて、ブルゴーニュはブルゴーニュ公国として最も隆盛を誇りました。
この時代のブルゴーニュ公国はフランス王国をしのぐほどの勢力を誇り、ベルギーやオランダまで領土としていたのです。

 外部リンク: 15世紀の広大なブルゴーニュの領土を見せる地図

ブルゴーニュの領土がフランス王国に吸収されたのは1477年。その経緯については、悲劇の美しい公女マリー・ド・ブルゴーニュの話があるのですが、それを書くのは別の機会にします。

豊かなブルゴーニュはフランス王国にとっても、大切な領土でした。その証拠には、ルイ14世の時代からフランス革命までの間、ブルボン家の中でも名門のコンデ候がブルゴーニュを統治しました。

勢力のあったコンデ家のお陰で、ブルゴーニュは公国がなくなってからも発展を続けました。運河が築かれたり、人口が多くはないディジョンに大学が設立されたりもしたのです。今日でも、ディジョン市の旧市街の美しさは、この当時のブルゴーニュの姿を彷彿とさせてくれます。


ブルゴーニュ公国時代の宮殿 (今では市役所と博物館として使われている)

ところで、ブルゴーニュは宗教の上でも重要な役割を果たしていました。910年にクリュニー修道会、1098年にシトー派修道会が創設されました。

クリュニー修道院は、ローマにサンピエトロ寺院が立てられるまでは、ヨーロッパで一番大きなキリスト教の建物でした。また小さな村々には、愛らしいロマネスク様式の教会がたくさん残っています。

フランスの修道院は、農産加工品の質を高めることにも貢献しました。

僧侶たちは食道楽だったのか、あるいは農業技術を高めることを使命としたのか、あるいは科学的研究心があったからなのか分かりません。

いづれにしても、修道院は広い農地を持っていました。ブルゴーニュに勢力のある修道院が数多くあったために、おいしいワインやチーズがつくられることにも役立ったのです。
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内部リンク: ブルゴーニュ地方に関するリンク集(情報、特産品など)

ブルゴーニュ地方の訛り、方言について 

更新: 2008年10月

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