Sa Majesté Delphi, roi des chats (1) |
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前のページで、ボクの名前の由来を知ってもらうためには、ボクの家にいた2匹のネコの話しをしなければならないと言いました。 上手に語れないので、ともかく順番に、1番始めにいたデルフィー氏の話しから始めます。 デルフィーは、とても勇敢なネコだったそうです。狩猟の腕も大したもの。ネズミだけではなくて、うるさく鳴くハトとか、家庭菜園を荒らすモグラとか、近所の子どもを噛んだ毒蛇とか、時には隣の家のクルミの木にやって来たリスなんかも捕まえてしまったそうです。それだけに、生傷も絶えませんでした。 もう少したったらデルフィーの写真を入れますが、とりあえず彼の肖像画を入れておきます。 デルフィーは、この絵のような感じの凛々しいネコでした。 この絵は、ボクの話しの続きの部分を理解するうえで、とても大事なイメージになりますので、覚えておいてくださいね。 |
デルフィーは貴族のように誇り高いネコだったそうです。礼儀作法も早くから身につけて、小さいときからそそうをすることもありませんでした。 いつもの冷静さを失うのは、食卓に大好物のフォアグラが並んだときだけ。そのときばかりは、気が狂ったように動揺したそうです。 彼は、大変なグルメだったのです! |
【デルフィーとフォアグラ】 ところで、フォアグラというのは、カモかガチョウの肥大した肝臓です。
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家庭でフォアグラを作る人は珍しいのですが、デルフィーは手作りフォアグラを食べていました。 あるとき、家に来たお客さんが、ペリゴール地方というフォアグラの産地で過ごしたヴァカンスのお土産として、農家の手づくりフォアグラを持ってきたことがあったそうです。 フォアグラを買うなら、缶詰などのような大量生産より、ビンに入った農家の手づくりの方がおいしいのです。お客さんの話しを聞いたデルフィーは、もちろんテーブルの下で待っていました。 ところが人間たちが、フォアグラを食べ始めると、「これは加熱し過ぎて味が変わっている」と言い出しました。それで、「試しにデルフィーに味見してもらおう」ということになりました。 デルフィーの前に、フォアグラを乗せた小皿がおかれました。 クンクンと、デルフィーは匂いをかぎました。そして、食客たちに一礼して、きぜんと食堂を立ち去ってしまったのです。デルフィーがフォアグラを拒否したのは、このときだけだったそうです。 ところでフォアグラとは、飼育の最後にトウモロコシを無理やりに食べさせて、肥大させた肝臓です。昔は、クリスマスくらいにしか食べないご馳走でした。 デルフィーが食べなれていたのは、ブルゴーニュの農家で育ったカモのフォアグラばかりでした。ぺリゴールのようなフォアグラの名産地では、強制的に食べさせる期間を長くして、肝臓を普通の2倍くらいにまで膨らませたりする農家もあるのだそうです。お金儲けにはなりますが、味の方は落ちます。 もしかしたら、デルフィーは、加熱時間が長すぎたということだけではなく、フォアグラの質が本物でもないことをも見抜いていたのかも知れません。 デルフィーは、飛びぬけて賢いネコだったのです。「まるで人間のよう・・・」というのは人間たちが言ったことで、ボクたちからみれば褒め言葉ではありません。 上に書いたフォアグラ騒動のとき、食い意地のはった人間たちは、「おいしくない」と言いながらも、みんなでフォアグラを食べてしまいました。それをみても、ネコが「人間のように賢い」という言い方が、いかにボクたちには侮辱的であるか、お分かりいただけると思います。 もともとデルフィーという名前も、彼が神童であったからこそ与えられたのです。デルフィーとは、ギリシャ語の「デルフォイ」をフランス語で発音した言葉です。ソクラテスが「なんじ自身を知れ」という神託を授かったという、あのデルフォイの神殿からとった名前なのです。 |
【デルフィーが残した原稿】 デルフィーは、自らの考えをつづった原稿も残しました。「色々と学ぶことが多いから、教科書のように読むように」と言われたので、ボクは座右の書としています。 表紙にはLettres perchanes というタイトルが書かれています。 この題名を何と訳したら良いのか、ボクには分かりません。モンテスキューからインスピレーションを得た題名だそうです。哲学に詳しくて、しかもフランス語がよく分かる方だったら、奥深い意味を理解してくださると思います。 デルフィーが残した原稿の中から、デルフィーがいかに勇敢であったかを示す部分を次のページに乗せますので、「続きへ」に進んでください。 これは、近所のお婆さんが「お宅のネコは・・・」と文句を言ってきたときの話しですが、ネコのみな様なら、デルフィーの方が正しかったと言ってくださるのではないでしょうか? |
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