ハート・レストラン
Les Restaurants du Coeur

「ハート・レストラン」と題された曲 

 フランス人たちを見ていると、本当に困っている人たちを助けるのが好きな国民だと感じます。フランス革命以来の伝統なのでしょうか?

 湾岸戦争が起こったとき、友人たちと食事していたのですが、集まっていた8組のカップルのうち、半分以上が戦争孤児を養子として引き取りたいと言っていました。フランスは子どもの権利を尊重する国なので、養子を迎える審査は非常に厳しく定められています。それでも知り合いの中には、外国の戦争孤児を引き取ったというフランス人家庭が何組もあります。戦争で極限状態を経験した幼い子どもたちですから、子育てには苦労することもあるのですが・・・。

 冬になると、ホームレスの人たちなどに手を差し伸べるボランティア活動「ハート・レストラン」の活動がマスコミではがクローズアップされます。 
貧しい人々を助けるボランティア活動

 毎年冬になると、テレビなどのニュースでは、盛んに「ハート・レストラン(Les Restaurants du Coeur)」の活動が報道されます。略してResto du coeur とも言われます。

 これはフランス国内の貧しい人たちを助けるボランティア活動で、特に食事を保証することに力を入れています。

 クリスマスで人々の心が浮き立つ頃になると、この報道を見て、ホームレスの人たちなどには辛いシーズンがやって来たことを思い出します。

 フランス本土に2,100の支部があります。食べ物の詰め合わせを家族の人数に合わせて支部で配る活動が有名ですが、大都市では食堂もつくられています。


  町で見かけたハート・レストランの建物
絶大な人気があるコリューシュ

 ハート・レストランは、今は亡きコリューーシュ(1944-1986年)というコメディアンによって、1985年に誕生しました。大変に有名な人だったので、この活動をマスコミなどにPRするにも大いに役立ったようです。

 初めての食事提供センターを作った1985年の冬の3ヵ月のキャンペーンでも、5000人のボランティアによって、850万食も提供されたのですから。
 
コルーシュ (Coluche)
 フランスでは知らない人はいないくらいの有名人である。未だに彼の言ったジョークを使う人も多い。
 コリューシュは、俳優としても活躍し、セザール賞も受賞した経歴がある。1981年には大統領選挙にも出馬。大変な支持率を獲得しようとしていたのだが、彼のプロデューサーユーが暗殺されるという事件が起ったため、世の中を混乱させることを回避するために選挙出馬を取り消した。
 ハート・レストランが生まれた翌年、コリューシュはオートバイ事故で帰らぬ人となった。
ハート・レストランについて

 ハート・レストランは協会組織となっており、1901年協会法で公益組織として認められています。日本ならNPOに相当する組織です。

 最近のデータは次の通りとなっています。
  • ボランティア数: 42,000人
  • 寄付者: 38万人
  • 援助受給者: 62万人
  • 提供食事数: 6,150万食
  • 寄付金: 3,000万ユーロ
 フランスの人口は日本の約半分ですから、日本の規模だったら、その倍の数になると言う風に想像してください。かなり大々的な活動なのです。

 協会の収入では寄付が大きな位置を占めており、それに、イベントなどの活動収益、行政からの補助金(ヨーロッパ連合も含める)が活動費を補っています。

 個人が協会に寄付する場合には、60%の免税(課税対象所得の20%を超えない条件で)がなされるそうです。つまり25ユーロ寄付する場合には、15ユーロが戻ってくることになるので、実際には10ユーロしか出費しないことになります。それをハート・レストラン協会ではコリューシュ法の免税措置だと表現していました。そんな法律までつくったのでしょうか?


ボランティアの慈善事業にはハートがある

 コルーシュは、この活動は行政が受け継ぐべきだと考えていたようですが、その後20年たった今も、ハート・レストランのボランティア活動は続いています。

 フランスは福祉国家なので、貧しい人々に対する援助にも手厚いものがあるのですが、ハート・レストランのようなボランティア活動は、お役人ではできない温かさがあるのではないでしょうか?

 昨年の冬、何回か見かけて知っていたお爺さんがなくなった話しを聞いたとき、行政の貧しい人を保護の仕方には冷たさがあるのではないかと思ってしまいました。

 このお爺さん、小さな村で一人暮らしでした。収入がないのか、お金には無頓着だったのか分かりませんが、ともかく見るからに貧しそうな人でした。近所の人の話だと、電気やガス代をちゃんと支払わないので、冬に暖房ができなくなってしまうことさえあったのだそうです。

 カフェに入り浸ってお酒ばかりのんでいて、食事はほとんどしません。近所の人たちも心配して、高齢者のための福祉施設に入るように説得されていたのですが、ついに去年の秋、村長さんが動いて施設に入ることにしたのだそうです。

 みんな、「良かった、良かった」と言っていました。私は、本当に彼にとって良かったのだろうかと疑問に思いました。田舎の古い家で、自分の思い通りに長年くらしてきた人が、施設の生活に耐えられるのだろうかと思ったからです。大好きなお酒だって、体に良くないから、と辞めさせられたはずです。

 お爺さんは、施設に入ってから半年もしないうちに亡くなりました。どうせなら、最後まで好きなように暮らしていた方が幸せだったのではないでしょうか?・・・
 ハート・レストランのサイト(フランス語): Les Restaurants du Coeur
2004年1月


Home

Copyright © Bourgognissimo. All Rights Reserved.